「痛みを伴うことを笑いの対象とするバラエティー」
これにまだ誤解をしているタレントや芸人、視聴者、さらには制作者も多くいます。
これは昨年4月、放送における第三者機関、放送倫理番組向上機構(以下BPO)が見解を発表したことに端を発します。(上記「」内で検索するとすぐ出てきます)
この「痛みを伴うことを笑いの対象」、この言葉が独り歩きしてしまい、昔からある、あらゆるバラエティーは表現を一から変えなければいけなくなると多くの人が勘違いしたのです。
新聞やネットメディアはテレビの今までの運用を知るわけもなくこの独り歩きした言葉から、例えば吉本新喜劇のどつき芸などはできないのでは?と書き立てたことで、制作側も不安に陥ることになります。
途中端折りますが、絶対にそんなことはあり得ません。
芸人さん同士のボケとツッコミの間合いの中での笑いに痛みが伴うことは問題無いのです。
その痛みを笑いに昇華してやるという受け手と、作り手やそれを演じる送り手との間に「信頼関係」が成り立ちすれば何ら問題無いのです。
ただ当然ながらその関係がまだできていない相手や特に一般の人いじりなどは注意が必要です。
僕の敬愛する先輩が例えに使ったのは「お笑いはプロレス」との言葉でした。
つまり、攻撃を避けれるにもかかわらずあえて鍛え上げた肉体で受け止め、さらに反撃をすると相手もまた受けたり返したりする・・・それがプロの芸人同士だと。
ガキ使のコンプライアンス上うんぬん・・・は違うんです。
出演している人たちはお尻たたきをされ、リアクション芸を見せる、そういう前提で出演しているのであれば、まさにプロの芸人の匠の技。
確かにそれを良しとしないタレントさんもいるでしょう。そういう方に予期せぬ形での痛みを伴う企画は難しいかもしれません。(少なくとも事前に検討しなければ)
さっき言ったプロの受け取返しができない素人さんには難しいのは違いが無いです。
そういう意味でプロレスができる相手同士であれば「痛みを伴うことを笑いの対象」とすることは可能です。
ガキ使の早い復活を心より祈ってます(イチ視聴者として(笑))
次回は差別と区別、その意味を考えてみます。